僕とチョコドーナツの関係
僕は昔から甘いものが好きだ。
チョコ系、クリーム系、あんこ系、素晴らしい。いいじゃないか。
僕は、特にチョコドーナツには目がない。
よく食べていたお気に入りがある。
僕はそのチョコドーナツを「彼女」と呼んでいる。その呼び名は妻には内緒だ。
1型糖尿病は肝臓の細胞がなんらかの原因で破壊されインスリンが出せなくなる病気なので、2型糖尿病とは違い基本的には食事制限はなく、食事量に合わせて注射するインスリン量を調整することで、血糖値のコントロールをすることになっている。
なので、極論、カロリーの高いものだろうが甘いものだろうが何をどれだけ食べたっていい。インスリン量を調整できさえすれば。
だけど入院中は、何をどれだけ食べるとどの程度血糖値が上がるのか、
どれくらいインスリンを打つとどの程度血糖値が下がるのかを計測していくので、間食はダメだ。飲み物も血糖値に影響のない無糖のものだけが許されている。
病院内のカフェには、チョコドーナツがあった。
毎日昼食後のブラックコーヒーを買いに行くと、必ずガラスケース越しにこちらを見つめている。5段あるケースの3段目に横たわって、斜め下からの上目遣いだ。
大きめの角切りのチョコチップの髪飾りをつけている彼女はおしゃれでもう文句のつけようがないんだ。
この誘惑に応じることが禁忌であることは十分に承知しているはずだ。
ただ、そこには葛藤がある。なんとも形容しがたいこの欲望との葛藤。
コーヒーが出てくるまでの間、僕は彼女だけの無言の会話をする。
カウンター前の静寂。
僕は、10日間毎日欠かさず、昼食後に彼女の元に通った。
まるでかわいい子犬がいるペットショップにまた訪れてしまう時のようにごく自然に通った。
10日が過ぎた頃、つまり食事量に対するインスリン量調整に少し慣れてきた頃、僕は知る。
僕の夕食時のインスリン量はおよそ15単位。
あの子(チョコドーナツ)を食べる時に打たないといけないインスリン量はおよそ4単位。果たして、4単位の価値はあるのだろうか。そんなことをふと考える。
その日から、僕は彼女の元へ通うのを辞めた。
彼女とははあれきり会ってない。
退院して家に帰ると、僕のお気に入りのチョコドーナツを妻が用意していてくれた。
「退院祝いに買ってきたよ」
僕はすっかり変わっていた。
ドーナツを見るたびすぐに「4単位」そんな声が聞こえてきた。
血糖が乱れるからと言って食べなかった。
彼女とはあれきり会っていない。
今はお気に入りのみかんゼリーがある、ちなみに彼女は2単位だ。